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ひじり塚 (河野通信墳墓)   北上市教育委員会   岩手県指定史跡 (昭和四十年六月六日

 河野通信は伊予の国(愛媛県)の名族の出で、鎌倉時代の名高い武将です。 壇ノ浦での源氏と平氏の最後の海戦のとき勇敢な水軍をひきいて源義経に加わり大活躍をしました。鎌倉幕府をひらいた源頼朝の妻、政子の妹を妻とし、頼朝のそばで仕えた有力者でした。頼朝が平泉藤原氏を攻めほろぼしたときには、岩手郡地方まで従軍し、功績によって伊予の国や陸奥の国に領地をあたえられました。のちに伊予の国の国内の軍事や治安つかさどる守護を命じられ、高縄城(愛媛県北条市)に住みました。

 後鳥羽上皇が、幕府から朝廷に政権を取りもどそうして戦いを起こした承久の乱(1221年)のとき、通信は負けた上皇がわにつきました。上皇やそれに味方した者たちは、流されたり、切られたりしましたが、通信はこの地の江刺郡に流されました。二年間ほど「極楽寺」に庵をむすび世捨人となって余生を送り、1223年(貞応二年)五月十九日、六十八歳で世を去りました。

 このあと一族からは、時宗という仏教の新しい宗派開いた孫の一遍(智真)、北九州に蒙古軍が襲来したときに大活躍した曾孫の通有など、日本史上有名な人物が出ています。

 一遍は自分の新しい仏教の教えを民衆に広めるため旅に出て、その途中この地にある祖父通信の墓参りをしました。このときの様子が絵巻物として有名な「一遍聖絵」に説明文とともに描かれています。現在の史跡と絵とが一致する点でたいへん貴重なものです。

 この墓は土地の人々に昔から「聖塚」とよばれ、四角な段のうえに丸く土を盛りあげた二段造りで表面をおおい堀をめぐらした名族にふさわしい堂々とした造りとなっています。

 写真は「一遍上人絵伝」という絵巻物の一部です。一遍というお坊さんは鎌倉時代に「時宗」とよばれる新仏教の一つを開いた人です。お寺をつくらず、旅をしながら念仏踊りを通して布教活動(遊行)を展開しました。一遍上人絵伝は、一遍の生涯を描いたものです。一段ごとに詞書(絵の内容を書いたもの)と絵が並び、全12巻48段により構成されています。このうちの1巻(第七巻)は東京国立博物館が、他の11巻は戒(一遍の弟あるいは甥)が開山した京都・歓喜光寺がそれぞれ所蔵し国宝に指定されています。一遍が亡くなってから10年後の1299年に、聖戒が作成した伝記を参考にして、円伊というお坊さん絵師が描いたと伝えられています。

 各地を巡り布教に明け暮れた一遍の絵伝なので、その土地の自然風景がふんだんに、しかもかなり正確に描かれていることが、この絵巻物の特徴となっています。また、庶民の生活を描いた資料としてとても貴重なものです。
 この場面は一遍が布教途中、江刺を訪れおじいさんのお墓をお詣りする情景です。田んぼの中に、墓標もない簡素な墳墓がみえます。たどり着いた一遍(中央)は喜びにあふれ、祈りを捧げます。一緒のお坊さん達も喜び一斉に合掌します。

 一遍のおじいさん河野通信は、伊予の国《現在の四国・愛媛県》の武将でした。通信は、鎌倉幕府を倒そうとする承久の乱(1221年)で京都の倒幕軍に加わりましたが、鎌倉幕府が勝利をおさめたため罪を受け陸奥の国・江刺郡に流されてしまいました。そしてこの地で68年の生涯を終えることになります。

 絵巻物に描かれているお墓は、北上市稲瀬町(旧江刺郡)に「ひじり塚」とよばれ県の史跡に指定された塚があります。付近の景観が似ていることから20数年の調査期間を経て昭和40年に、絵巻物に描かれているお墓(河野通信のお墓)と一致することが確認されました。

 一遍をはじめ、各地を巡りながら布教に務めたお坊さんたちを「聖(ひじり)」といいます。この塚のまわりを念仏を唱えながら踊っている光景は周辺の人々に強い印象を与えたことでしょう。お坊さんたちが通った道を聖道(ひじりみち)とよびました。 
 遠く離れた江刺の地で、寂しく一生を終えた通信も、孫の一遍の参詣を喜び、念仏によって救われたでしょう。

正面入り口  ...お墓は左手、解説板は右手にあります。
河野通信の墓所
<ネットから拝借した説明    ...少し長くなりますがメモしてみます。>
ひじり塚 絵図 

●ひじり塚  ...一遍上人(いっぺんしょうにん)

<添付写真...4枚>
展勝地の東側に散在する史跡は結構沢山あります。北上市の相去地区は南部藩と伊達藩の境に位置し、ここから北と南で生活様式や文化圏がことなります。現在は廃藩置県の関係から、北は二戸市、南は一関市となっており、面積は四国に匹敵すると言われています。
展勝地の東奥にある「国見山」には「極楽寺」の廃寺跡があります。そこから数q南下すると「樺山遺跡」や「ひじり塚」が展開します。資料はネットで沢山ひろえますが、長すぎてまとめるのに一苦労です。ついつい、ネットのデータを拝借してしまいました。
現地にある解説板から、要約し貼り付けてみました。
<河野通信の墓> <案内板>